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旅と名所

芭蕉は「名所の見方」を作った

旅先でスマートフォンを開くと、場所にはもう「正解の見方」が用意されている。

松島なら、海に浮かぶ島々をこの角度で撮る。古い温泉街なら、湯けむりの出る路地を歩く。アニメの舞台になった駅なら、改札の前で同じ構図の写真を撮る。行く前から画像を見て、口コミを読み、誰かの「ここがよかった」を覚えている。現地に着いたとき、私たちは完全に初めてその場所を見るわけではない。

この感覚は、いかにもSNS時代のものに見える。

けれど、場所が先にあり、人があとからまっさらな目で見に行く、という順番は、昔から少し怪しい。江戸時代の旅人も、白紙の目で名所へ向かったわけではなかった。古い和歌、物語、評判、絵図、旅の噂を持って、土地へ向かった。

松尾芭蕉の『おくのほそ道』も、そのような旅として読むと急に生々しくなる。

芭蕉はただ東北や北陸を歩いたのではない。白河の関、松島、平泉、立石寺、最上川、象潟、大垣。すでに有名だった場所を訪ね、そこで何を見ればいいのかを、短い文章と句で書き直した。

つまり芭蕉は、名所そのものを作ったというより、名所の見方を作った人だった。

与謝蕪村による『奥の細道』画巻の一部。芭蕉の旅は、歩いた場所を後から絵や文章で見直す題材にもなっていった。
与謝蕪村による『奥の細道』画巻の一部。芭蕉の旅は、歩いた場所を後から絵や文章で見直す題材にもなっていった。

歌枕とは「昔から詠まれてきた場所」のこと

まず、歌枕という言葉をほどいておきたい。

歌枕とは、古い和歌に何度も登場してきた有名な地名のことだ。説明だけ聞くと、古典の授業で覚える用語のように見える。けれど仕組みはもっと身近である。

たとえば、ある海岸が何度も恋の歌に出てくる。ある関所が、都から遠い場所へ行く不安と結びつけて詠まれる。ある松が、変わらない愛の象徴として語られる。すると、その場所はただの海岸、ただの関所、ただの松ではなくなる。

地名に、感情がくっつく。

これが歌枕である。

現代で言えば、映画に出た坂道、ドラマの告白シーンで使われた橋、アニメの背景になった踏切に近い。そこへ行く人は、橋そのものや踏切そのものだけを見ているのではない。画面の中で見た物語も、一緒に見ている。

歌枕も同じだ。実際の土地の上に、古い歌の記憶が重なる。そこに立つ人は、目の前の山や川だけでなく、「昔の人がここをどう詠んだか」まで見ようとする。

芭蕉は、この歌枕をたどって旅をした。

葛飾北斎による松尾芭蕉像。旅人としての芭蕉だけでなく、土地の記憶を選び直す書き手として見ると、『おくのほそ道』の読み方が変わる。
葛飾北斎による松尾芭蕉像。旅人としての芭蕉だけでなく、土地の記憶を選び直す書き手として見ると、『おくのほそ道』の読み方が変わる。

芭蕉は、名所を「答え合わせ」しに行った

元禄2年、1689年。芭蕉は門人の曾良と江戸を出発し、奥羽・北陸をめぐった。芭蕉翁顕彰会の整理では、旅の日数は約150日、距離は約2,400キロに及ぶ。

ただし、それは行き当たりばったりの放浪ではない。

芭蕉は、能因や西行といった先人の足跡を意識していた。昔の歌に出てくる場所は、実際にはどんな場所なのか。古い物語の中で輝いていた名所は、いま目の前でどう見えるのか。その答え合わせをするように歩いている。

たとえば白河の関。

白河の関は、東北へ入る入口として古くから知られていた場所だった。地図上の境界であるだけでなく、「ここから先は都から遠い世界だ」と感じさせる境目でもある。だから芭蕉にとって、白河の関を越えることは、ただ県境をまたぐような話ではない。古い歌の中で何度も想像されてきた場所へ、自分の体で入っていくことだった。

平泉では、かつて栄えた奥州藤原氏の記憶が前面に出る。

目の前にあるのは夏草である。けれど芭蕉は、そこに昔の武士たちの夢を重ねる。「夏草や兵どもが夢の跡」という句が強いのは、草の描写が細かいからではない。むしろ、何も残っていないように見える草むらに、かつての栄華が消えたあとの大きな空白を見ているからだ。

立石寺では、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠む。

ここも、ただ「静かな寺でした」と書いているわけではない。蝉は鳴いている。音がある。それなのに、その声が岩へ吸い込まれていくように感じられる。暑さ、石段、山寺の空気、蝉の声。具体的なものを通して、静けさが深くなる。

芭蕉の文章は、場所を説明するだけではない。

そこへ行く前に持っていたイメージと、実際に見たものをぶつけている。だから名所は、絵はがきのようにきれいな場所としてだけ残らない。思っていた景色と違ったり、昔の物語が現実の草や石や音に変わったりする。

その瞬間に、場所はただの観光地ではなく、考える場所になる。

『おくのほそ道』は、旅のメモをそのまま並べた本ではない

ここで大事なのは、『おくのほそ道』が旅の全記録ではないことだ。

芭蕉翁顕彰会も、『おくのほそ道』には随行した曾良の旅日記との違いがあり、芭蕉が文芸作品として書いていることを説明している。つまり芭蕉は、旅で起きたことを全部そのまま並べたのではない。

どの場所を書くか。

どの句を置くか。

どの出来事を省くか。

どの古い歌や歴史を思い出させるか。

芭蕉は、それを選んでいる。

現代なら、旅のあとには写真が何百枚も残る。駅、昼食、宿の部屋、看板、空、レシートまで記録できる。けれど、それを全部並べても「その旅が何だったのか」は見えてこないことがある。

必要なのは、選ぶことだ。

芭蕉は、旅の写真フォルダから数枚を選び、そこに短い言葉を添えるようにして、読者がその場所をどう見るかを整えた。もちろん実際には写真ではなく、句と散文である。それでも、やっていることはかなり近い。

『おくのほそ道』は、旅の証拠というより、旅の見せ方の本なのだ。

名所は、説明されることで名所になる

名所は、最初から名所として光っているわけではない。

もちろん、美しい海や山はある。歴史のある寺もある。けれど、人がそこへ行きたいと思うには、何かきっかけがいる。誰かの句、絵、案内記、評判、旅日記。現代なら、ガイドブック、映画、アニメ、口コミ、SNSの投稿。

「ここは見るべき場所です」と伝えるものがあって、はじめて多くの人が動き出す。

歌川広重『六十余州名所図会 陸奥 松島富山眺望之略図』。松島のような名所は、実景だけでなく、絵や文章が広めた「見方」と一緒に旅人へ届いた。
歌川広重『六十余州名所図会 陸奥 松島富山眺望之略図』。松島のような名所は、実景だけでなく、絵や文章が広めた「見方」と一緒に旅人へ届いた。

国文学研究資料館は、『江戸名所図会』を紹介する中で、歌枕が江戸時代に実際に訪ねてみる場所へ変わっていったことに触れている。道が整い、人の移動が増え、絵入りの名所案内が広がる。名前だけを知っていた遠い土地が、実際に歩いて行く場所になっていく。

芭蕉の『おくのほそ道』も、この流れの中にある。

たとえば大垣船町川湊は、『おくのほそ道』の旅の結びの地として知られている。岐阜県の文化財解説では、芭蕉や曾良が訪ね、作品や旅日記に書きとめた場所、句を残した場所、由緒ある場所が、近世から近代にかけて広く鑑賞の対象になっていったことが説明されている。

ここで起きていることは、とても具体的だ。

誰かが句を書く。

その句が読まれる。

あとから来た人が、句碑や案内板を見る。

土地の名前が、観光地図やパンフレットに載る。

また別の人がそこへ行き、写真を撮り、感想を書く。

こうして場所は、ただの土地から「訪ねるべき場所」へ変わっていく。

SNSの映えスポットと、何が似ているのか

ここまで来ると、現代の「映えスポット」や「聖地巡礼」が、まったく新しい現象ではないことが見えてくる。

私たちは、誰かの投稿を見てカフェへ行く。映画で見た坂道を歩く。小説に出てきた海辺を探す。アニメの背景になった駅前で写真を撮る。そこでは、現実の場所に、先に見た写真や物語が重なっている。

歌枕も、それに近い。

昔の人は和歌を通して場所を見た。今の私たちは、写真や動画やレビューを通して場所を見る。道具は違うが、「先に言葉やイメージを受け取り、そのあと現地へ行く」という順番は似ている。

ただし、芭蕉の面白さは、名所のイメージをそのままなぞらないところにある。

SNSでは、同じ場所が同じ角度で撮られ、同じような感想と一緒に流れていくことがある。もちろん、それも楽しい。けれど、芭蕉は有名な場所へ行きながら、その場所が予想と違うことも書く。

宮城県が紹介する「おくのほそ道の風景地」には、末の松山が含まれている。末の松山は、古くから恋の歌で知られる歌枕だった。ところが芭蕉が訪ねたとき、そこには墓地の光景があった。恋の名所としてのイメージと、目の前の墓原。そのずれが、無常の感覚を強める。

平泉も同じだ。

かつて栄えた場所へ行ったのに、そこにあるのは夏草である。だからこそ、滅びた時間が強く見える。

芭蕉は、名所を「きれいな場所」として消費して終わらせない。むしろ、有名な場所に行ったとき、自分が持っていたイメージが現実の前でどう変わるのかを書く。

そこが、ただの観光案内と違う。

旅とは、場所に付いた言葉に気づくことでもある

旅先でスマートフォンを開けば、いまも場所は先に説明されている。

星の数。おすすめルート。写真の構図。レビューの言葉。誰かの「最高だった」。それらは便利だし、悪いものではない。私たちは完全にまっさらな目で場所を見ることなど、たぶんできない。いつだって、誰かの言葉や写真や記憶を連れて歩いている。

だから大事なのは、「本当の場所」を見るために、すべての説明を消すことではない。

むしろ、どんな言葉がその場所に付いているのかに気づくことだ。

誰がその場所を有名にしたのか。どの物語が、その景色を特別なものにしたのか。自分がいま見ているものは、目の前の景色なのか、それとも先に読んだ説明なのか。

芭蕉の旅は、その問いをとても古い形で見せてくれる。

彼は場所を歩いた。けれど同時に、場所に付いた言葉を歩いた。古い歌の中にあった名所へ行き、現実の光や音や疲れにぶつけ、もう一度文章にして返した。そうして『おくのほそ道』は、後の人にとって新しい案内図になった。

名所は、そこにあるだけでは足りない。

誰かが「ここではこれを見る」と伝える。誰かがそこへ行く。また別の誰かが、その見方を少し変える。その繰り返しの中で、場所は厚みを持っていく。

次に旅先で「ここ、見たことがある」と思ったら、少し立ち止まってみてもいい。自分が見ているのは、目の前の場所だけではない。そこへ来る前に受け取った、たくさんの写真や言葉も一緒に見ている。

芭蕉は、そのことをずっと前にやっていた。

風景を作るとは、土地を作ることではない。その土地を、どう見ればいいのかを残すことなのだ。