Mosaic

身近な物や作品から、歴史と社会の仕組みを読む。

記事一覧へ戻る

デザイン / 生活道具

柳宗理は、道具のかたちを手で考えた

ケトルを持ち上げるとき、私たちはあまり哲学をしていない。

水を入れる。火にかける。湯が沸いたら、取っ手をつかんでカップへ注ぐ。うっかり傾けすぎると、台所は小さな事故現場になる。湯量を細くしたいとき、手首だけでなく、小指や人差し指まで仕事をしていることに気づく。

柳宗理のステンレスケトルは、そこを見ている。取っ手の後ろのへこみに小指をかけると、そこが支点になり、注ぎ口が自然に下を向く。上に添えた人差し指の力で、湯の量を調整できる。

柳宗理(やなぎ・そうり)は、戦後日本を代表するインダストリアル・デザイナーである。インダストリアル・デザインとは、工場で作られる製品の使いやすさ、材料、生産方法、形を考える仕事だ。柳は椅子、食器、キッチン用品、公共物、オリンピック関連の道具まで、かなり広い範囲を手がけた。

ただし、柳の面白さは「名作をたくさん作った人」で終わらない。彼は民藝運動の中心人物だった柳宗悦(やなぎ・むねよし)の息子でもある。民藝とは、無名の職人が日常のために作る工芸に美を見いだした考え方だ。

柳宗悦とウィリアム・モリスの記事では、手仕事が単なる趣味ではなく、労働、暮らし、近代化への違和感を含む社会思想だったことを見た。この記事は、その続きとして読める。では、その思想は工場で作られる椅子やキッチン用品に入ると、何に変わるのか。

父は手仕事の日用品に美を見た。息子は、戦後の工場で作られる道具を設計した。ここには一見、距離がある。手仕事と量産。民藝とステンレス。窯場と工場。

けれど柳宗理の道具を見ると、その距離は少し違って見える。彼は民藝を昔の手仕事として保存したのではない。使う人の手順を確かめ、模型を作り、材料や工場の技術に合わせて、日常の道具へ移した。

思想は、口で語られるだけではない。小指の位置、ボウルのふち、合板の曲がり方にも入る。

柳宗理のバタフライスツール。2枚の成形合板が、座面と脚を同時につくる。
柳宗理のバタフライスツール。2枚の成形合板が、座面と脚を同時につくる。

バタフライスツールは、紙を折る手から始まった

バタフライスツールを見ると、まず曲線に目が行く。

左右に開いた2枚の合板が、蝶の羽のように見える。椅子なのに、座る道具というより小さな彫刻のようでもある。だからこの椅子は、つい「日本的な美しい形」として語られやすい。

でも、そこだけで止まると大事な部分を落とす。

柳工業デザイン研究会の作品紹介によると、この椅子は紙を切る、折る、曲げるといった手遊びから生まれた。柳は、当時の日本ではまだ広く知られていなかった成形合板の技術に着目した。合板は薄い木の板を重ねた材料で、曲げることで強度を出せる。

1954年、柳は仙台の産業工芸試験所東北支所で、成形合板を研究していた乾三郎と出会う。技術研究は産業工芸試験所で進められ、製作は山形の家具メーカー・天童木工が担当した。3年ほどの時間をかけて、1956年にバタフライスツールは完成する。

ここで起きているのは、形のひらめきだけではない。

紙を曲げる手。成形合板という工業技術。天童木工の製作。座面と脚を同じ2枚の板で作る構造。これらがつながって、あの形になっている。

しかも、最初期には和室向けの「畳摺りタイプ」と、板の間向けの「4点支持タイプ」があった。1950年代の日本の住宅はまだ畳の部屋が多かった。しかし、戦後10年を経た日本では、欧米型の住まい方も広がり始めていた。

つまりこの椅子は、ただ「和」と「洋」を混ぜた飾りではない。畳の部屋にも、板の間にも置かれる未来を読んでいる。暮らし方が変わる途中に置かれた道具だった。

MoMAはこの椅子を1958年に収蔵している。世界の美術館に入ったから偉い、という話だけではない。紙の模型から始まった手の実験が、工場の技術を通って、世界のデザイン史の中に置かれた。その道筋が面白い。

民藝は、昔へ戻る合図ではなかった

柳宗理を考えるとき、父の柳宗悦を避けて通ることはできない。

宗悦は、民藝運動の中心人物だった。民藝は「民衆的工芸」の略で、名のある芸術家の作品ではなく、無名の職人が日常のために作る器や道具に美を見いだした運動である。宗悦は日本民藝館を創設し、河井寛次郎や濱田庄司らとともに、生活に使われる工芸を新しい美の対象として見直した。

ただし宗理は、最初から父の考えを素直に継いだわけではない。柳工業デザイン研究会の紹介では、若い宗理は父の仕事を古臭いものとして反発し、前衛芸術へ引かれていったと説明されている。東京美術学校で洋画を学び、バウハウスやル・コルビュジェ、シャルロット・ペリアンの影響を受け、デザインと建築へ関心を移していく。

ここが大事だ。

宗理は、民藝の家に生まれたから自然に民藝的なデザインをした、という単純な話ではない。むしろ、前衛芸術、モダンデザイン、工業生産を通ったあとで、民藝との接点を見つけ直している。

1977年、宗理は日本民藝館の三代目館長に就任した。彼は民藝を、過去の美としてしまい込むものではなく、現代の創作へ生かすものとして考えた。公式紹介は、宗理が「生産手段や技術、材料を正しく利用し、庶民が心地よく使える丈夫で健康的なものをつくる」点に、デザインと民藝の共通項を見たと説明している。

この一文を、バタフライスツールへ戻して読むとわかりやすい。

民藝は、手で作るから正しい、というだけの話ではない。大事なのは、日常に使われること、丈夫であること、材料や技術が無理なく働いていることだ。ならば工場で作る道具にも、その考えは入れられる。

民藝を量産品へ持ち込むとは、民芸品の模様をつけることではない。使う人にとって自然な形を、現代の材料と技術で作ることだ。

ボウルのふちは、料理する人の手順を覚えている

台所のボウルは、地味な道具である。

材料を入れる。卵を溶く。ドレッシングを混ぜる。サラダを和える。洗って、重ねて、棚へしまう。料理中は何度も触るのに、食卓に出る頃には脇へ下がっている。

柳宗理のステンレスボールは、1960年の仕事である。上半商事からの依頼で始まり、柳は料理研究家の江上トミに意見を求めた。さらに一般の主婦の意見も反映し、長い研究を重ねたという。

当時の日本で多く使われていたのは、赤い縁取りのある白いホーロー製の入れ子式ボウルだった。もちろん、それも家庭の台所を支えた道具である。ただ、用途に応じて混ぜやすい深さや、洗いやすさ、重ねやすさを細かく考える余地があった。

柳のボウルは、13cm、16cm、19cm、23cm、27cmの5種類が設計された。小さいサイズは底が絞られ、材料の小分けやドレッシングに向く。中サイズは混ぜやすいよう深めの曲線が工夫されている。大きいサイズは、サラダを混ぜるだけでなく、洗い桶としても使える。

ふちにも理由がある。引っ掛かりがないように巻き込まれ、水や汚れがたまりにくい。表面は艶消しで、傷が目立ちにくい。

これは「美しいボウル」というより、料理の手順を読んだ形である。混ぜる人、洗う人、重ねる人の動きが、金属の曲線とふちに移されている。

ここで、民藝と工業デザインの距離がまた縮まる。

無名の職人が作った器は、長く使われる中で形が整っていく。柳宗理のボウルは、工場で作られる量産品でありながら、使う人の手順を聞き、模型や検証を通して形を整えている。手仕事と同じものではない。だが、生活の中で使われる道具から考える点は重なっている。

ケトルの小指が、注ぐ量を決める

ステンレスケトルは、1994年の仕事である。

柳工業デザイン研究会の説明は、かなり具体的だ。このケトルでは、持ち上げる、傾ける、洗う、収納する、そして注ぐという動作が一つずつ確認された。なかでも注ぐ動作が重視された。

取っ手の後ろ側にあるへこみに小指をかける。すると、その小指が支点になり、注ぎ口が自然に下を向く。前方の上面に添えた人差し指の力で、湯量を調整する。

この説明を読むと、ケトルの形が急に違って見える。

ふつう、私たちはやかんを「丸い」「つやがある」「かわいい」「台所に似合う」と見がちだ。もちろん見た目も大事である。毎日目に入る道具は、荒っぽい顔をしているより、落ち着いていたほうがいい。

しかし、ケトルは置物ではない。水を入れる。火にかける。持ち上げる。傾ける。湯が切れたら戻す。洗う。収納する。その全体が道具の仕事である。

小指を支点にする、という説明は小さい。だが、この小ささが柳宗理らしい。大きな理念を掲げる前に、手の中で起きていることを見る。

これは、ただ人間工学的に正しいというだけでもない。使う人の身体を、製品の形にちゃんと入れるということだ。しかもそれを、特別な一点物ではなく、家庭で買える量産品として作る。

思想が道具に入るとき、それはしばしば取っ手のへこみくらいの小ささで現れる。

キッチンツールでは、部品を減らすことが使いやすさになる

1997年のキッチンツールでは、別の方向から同じ考えが見える。

柳は、ボウルや鍋に合わせて、レードルやターナーなどのステンレス製キッチンツールをデザインした。このとき重視されたのは、丈夫で洗いやすいことだった。可能な限りパーツ数を減らし、ステンレスの一体成形を想定してデザインされた。

今では一体成形のキッチンツールをよく見る。だが当時は、樹脂製の持ち手が付いたものが多かった。持ち手と金属部分の境目には汚れがたまりやすい。壊れる場所も増える。洗うたびに、道具の弱点が見える。

部品を減らすことは、見た目を単純にするためだけではない。洗いやすくなる。壊れにくくなる。作る側も、使う側も、扱う部分が減る。

レードルの皿部分も、ただ丸ければよいわけではない。鍋のへりに沿って具材をすくいやすく、器へ注ぎやすい。具材を避けながらスープをすくったり、あくを取ったりしやすい形になっている。

ここでも、形は外側の飾りではない。

鍋の中で何をすくうのか。注ぐ先は椀なのか、皿なのか。洗うとき、境目に汚れが残らないか。そうした動きの集まりが、キッチンツールの曲線になっている。

柳宗理の公式サイトには、デザインする際に常に模型を作りながら考えるとある。最初は紙などで簡単な模型を作り、精度を高め、自分で使ってみて使いやすさを確かめる。目で見るだけでなく、触って確かめる。

これは、きれいなスケッチを描くこととは違う。紙の上で完成したように見える形でも、手に持つと重すぎるかもしれない。鍋に入れると角度が合わないかもしれない。洗うと水が残るかもしれない。

だから模型がいる。手が、図面のうそを見つける。

道具は、口ではなく手順で思想を語る

柳宗理のデザイン十ヶ条には、いくつか強い言葉が並んでいる。

デザインは、表面上の見た目を変えることではない。内部機構を改革することだ。本当の美は、作り出すものではなく、生まれるものだ。伝統は創造のためにある。デザインは社会問題である。

そのまま読むと、少し大きな言葉に見える。

だが、ケトルへ戻ると意味が手前に来る。表面だけを変えるのではなく、注ぐ仕組みを変える。ボウルへ戻ると、ふちの巻き込みやサイズの違いが見える。キッチンツールへ戻ると、部品を減らすことが洗いやすさにつながる。バタフライスツールへ戻ると、紙の模型と成形合板の技術が、座るための小さな構造になる。

「伝統は創造のためにある」という言葉も、模様や雰囲気の話ではない。

民藝から学ぶなら、昔の見た目を貼りつけるだけでは足りない。日常で使われること。丈夫であること。材料と技術が無理なく働くこと。使う人が、説明されなくても手で納得できること。そうした条件を、現代の量産品にどう入れるかが問われる。

だから柳宗理の道具は、思想を語る。ただし、雄弁に語るのではない。

ケトルは「私は民藝と工業デザインの融合です」とは言わない。ボウルも「戦後日本の生活改善です」とは言わない。レードルも「プロダクトマンシップです」とは言わない。

ただ、持つとわかる。注ぐとわかる。洗うとわかる。重ねるとわかる。

もちろん、すべての人に完璧な道具などない。手の大きさも、台所の広さも、料理の癖も違う。柳宗理の製品にも、好き嫌いはある。それでも、いい道具には、使う人の動作を先回りして待っているところがある。

バタフライスツールの前に立つ。2枚の合板は、椅子でありながら、紙を折った手の記憶を残している。

台所へ戻る。ケトルを持つ。ボウルを洗う。レードルを鍋に入れる。

そのとき、道具のかたちは少しだけ違って見える。美しいかどうかを眺める前に、こちらの手がもう使い方を読み始めている。

Supported by Rakuten Developers